■研究1:喫茶の伝播と変遷6-1

喫茶の伝播と変遷:アナトリア・バルカン地域を事例として(2009)
A Comparative Study of Tea and Coffee Cultures: Anatolia and the Balkans as Examples(2009)


第六章:まとめ ―喫茶からの視座―

 本研究では、喫茶を複数の要素からなる全体として捉え、諸要因によって要素が伝播、変遷し、類縁性や多様性を形成してきたことを考察した。この考察の過程で、現在世界各地の喫茶の習慣を、その喫茶の場で行われている事柄や飲料、道具類などの物質文化やいれ方、飲み方を比較しつつ提示した。多くの国々の現状を比較することで、喫茶の類縁性と多様性、また伝播経路や時代性の確認となり、茶やコーヒーがローカル・コンサンプションから世界商品化していく時代背景を見定めることにもなった。
これらを踏まえて、アナトリアとバルカン地域の喫茶の伝播と変遷について、オスマン帝国下におけるコーヒーの伝播から説き起こし、主にトルコ共和国成立の1920年代以降のコーヒーから紅茶への変遷を検証した。そして、ギリシアと比較することで、オスマン帝国下で同質のアラブ式コーヒーが浸透し、定着していた地域にもかかわらず、現代のトルコ共和国ではチャイが飲まれ、ギリシアではギリシア・コーヒーとしてアラブ式のコーヒーが飲まれ続けているという、現状の差異の形成について時間軸から把握を試みた。
 トルコ共和国については、政治、経済的状況が紅茶の生産、供給量の増大を促す大きな要因となったことは間違いないと考えられる。その紅茶が人々にどのように浸透し、需要が増大していったかについては、今後、茶農園を運営していた国営公社による宣伝広告、とりわけ、紅茶の生産量が伸び始める1950~60年代を分析する予定である。これによって、トルコ共和国におけるチャイハネなどの喫茶の形成が見えてくると考える。

・喫茶の伝播と変遷 ―類縁性と多様性の形成―

 喫茶を構成している要素には、現在の国境など関係なく伝播していく茶やコーヒーという要素や、人々の会話や新聞など、親交を深める場、情報の集積、収集、交換の場など普遍的な魅力となる要素がある。その一方で、宗教など他の構成の地域範囲をもつ固有ともみられる要素や、流動性はあるが社会階層ごとに異なる要素なども存在している。
 そのため、世界各地の喫茶を比較した場合に、ある要素は共通するが、別の要素では全く違う場合もあり、それが喫茶を比較した場合の類縁性であり、また独自性となり、全体としてみた場合の多様性として捉えられることになる。喫茶の構成要素の多くは隣国などとの人的、物的交流や、諸要因によって時間をかけて徐々に追加、転換されたものであって、独自に発展させた要素とともに、喫茶を複合的、重層的に作り上げてきている。これらは喫茶の変遷といえ、伝播元の喫茶とは異なる現地化した喫茶を形成することで、現状の多様性として現れて見えるものである。
 このことからも、民族固有の喫茶の習慣や文化と言われる場合も、実際は様々な要素の関係からなる全体として形成されているのであって、完全に固有の要素だけからなる喫茶は存在しないと考えられる。逆に言えば、新しい要素が加わったとしても、同様に従来の喫茶が全く異なるものに転換することはないということである。そして、喫茶を含め、現在の習慣や文化は、ときに古くから変わらない伝統と捉えられることも多いが、実際には本論を通して見てきたように諸要因によって変遷を遂げる、流動的で変わりやすいものである。現状として把握した喫茶も数十年後には変化している可能性がある。
 喫茶の変遷には「ひとつの文化を新たな世代に手渡してゆく過程が必然的に再構築の過程(中略)すなわちレヴィ・ストロースが「ブリコラージュ」と呼び、セルトーが「再利用」と呼んだ過程」(*239) も関連している言える。
この世代を越えて引き継がれる変遷は、完全に以前のものと異なるものに変化するというものではなく、世代交代ごとに引き継がれ、再構築されていくものであり、それは過去の基盤の上に現在が重なり混じり合うものである。つまり、喫茶を構成する要素の伝播や変遷を検証することは、喫茶の類縁性や多様性の形成要因や、その流動性が分かるだけでなく、過去の社会階層や支配階級の構成や政策という歴史や、世界各地の習慣や文化を再認識することにもなる。それゆえ喫茶という視座は、人々の日々の営みから形成されている習慣、文化、伝統や、現代社会を理解するための視野を広げることにもなる。

・喫茶の視座から捉える習慣、文化、伝統

 喫茶の伝播と変遷から類縁性と多様性の形成要因を検証したことで、習慣、文化、伝統の「類縁性」、「流動性・多様性」、「一回性と応用性」、「優劣の否定」が見えてくる。

「類縁性」
 現在の喫茶を要素ごとに比較し、時間軸とともに検証することで、習慣や文化は現在の国境とは無関係にゆるやかにつながりあっており、時間とともに徐々に形成されてきたことが分かる。それは同じ言語や習慣、文化をもつ「民族」とは関係なく引かれた、国境という線、に囲まれた地域で暮らす人々を一括りにし、その国の国民性などというように一般化することはできないことを示す。そして、そのような国境を越えたからといって大きく何かが変わるものでもないことも喫茶は示してくれる。

「流動性・多様性」
 習慣、文化、伝統というものは民族独自の固有のものであり、変化するべきでないものとして捉えられる面がある。特に一人の人間という短い時間単位で見た場合には、できるだけ前の世代から引き継いだ習慣、文化、伝統を守り、次世代に引き継ごうとするため、昔から変わらないものだという思いがある。しかし、喫茶の習慣や文化の変遷で見てきたように、様々な要因によって習慣、文化、伝統は変わるものであり、世代を越えて引き継がれていく過程で新しい世代が再構築していき、時代とともに徐々に変化していく。そしてこの変化を伴う再構築過程が人間の歴史の積み重ねであるといえ、この流動性が喫茶に限らず習慣、文化、伝統の独自性、そして多様性を生み出している。

「一回性と応用性」
 喫茶の伝播や変遷から、習慣や文化の世代間の伝達過程や、政治、経済など歴史の動きの一端をつかむことにはなる。しかし、過去の喫茶の形成には当時の時代背景、人々の生活習慣や文化が複合的に関連しあっているため、過去と同じ要因があったからといって、過去の喫茶が再現されることはない。また、習慣や文化が違う地域であれば、その刺激に対する反応も異なるため、そこに何かの方程式のようなものが見つかるわけではない。
 しかし、現代においてある嗜好品を世界商品化して販売するというときには、すでに世界商品化が進められている茶やコーヒー、コーラなどの広告、宣伝、販売戦略などは有効である可能性は高い。特に健康、薬効をうたった宣伝広告は普遍的に過去から現在まで有効であると考えられるからである。それは、数百年経っても人間の身体や健康に対する思いには変化があまりないことを示しているとも言える。

「優劣の否定」
 喫茶は世界のいたるところで見るありふれた日常であり、現地の人々の飾らない生活そのものを見ることができる。この喫茶という日常的な習慣や文化の現状を比較すると差異を認めることはできるが、そこには優劣などない。そこには、習慣、文化、伝統が、その土地の人々によって何世代もの時間をかけて、価値観や歴史を積み重ねたものであり、様々な他の地域の習慣や文化と融合したものであるためである。そのため、自身の文化を規準として、他の文化の優劣を判断することに意味がないことが分かる。そして、過去と現在を比べた場合にも、技術的な進歩の差はあるといえるが、その時代と現在における人々の日々の営みに優劣は存在しない。過去には過去の時点の価値観があり、それをもとに人々は行動していることもわかり、現代の価値観を基準に過去を見ると見誤ることにもなる。

・喫茶の視座からの広がり

 このような喫茶を視座として、例えば、現在北部インドにおいて多く飲まれるチャイから帝国主義下の食習慣の伝播と変遷を考えることもできる。
 第四章でも述べたように、チャイは1900年代に入ってからイギリスの販売促進運動によってインドに浸透した新しい習慣であった。しかし、その定着の際にはイギリス式をそのまま受け入れるのではなく、ヒンドゥの浄不浄の観念から、使い捨ての素焼きの茶器を利用し、神聖かつ馴染み深いミルクをたくさん入れ、スパイスを効かせたものとして、現地化することで、受容され、定着した。これは、習慣が一方的に受容されるわけではなく、既存文化と融合しつつ新たな喫茶を作り上げて定着することを示す例と言える。
 このように喫茶を現地化したヒンドゥ教徒ではあるが、インドを離れ、労働者として世界各地の他のイギリス植民地へ移送される際に、イギリスの運搬船において労働者として劣悪な環境のなかでカーストに関係なく扱われることで、「インド社会のカーストの制約は崩れ、誰もが同じなべで作られた食事を与えられ、水もカーストや宗教とは無関係に同じ容器から全員に配給された。この崩れた制約は、新しい国で復活することはなかった」(*240) 。このようにカーストの制約は崩れたために、喫茶の物質文化で取り上げた素焼きの茶器も南アジア以外では見られないと考えられる。しかし、インドの人々が労働者として働き、定住することになった「英領ガイアナ、トリニダード、ジャマイカなど、これらの国々は全て料理にインドの影響が強く見られ」(*241)る。これはインド系以外の、黒人系などの人々の食生活にも影響を与えており、正に、「食習慣とは「民族」によって習慣化されるのではなく、どれほど親しんできたかに大きく作用される」(*242) ものであると言える。
 このインド料理は宗主国であったイギリスの現在の食習慣にも影響を及ぼしている。「1773年にロンドンのThe Coffee Houseのメニューにカレーが登場」(*243)し、その後、チキン・ティッカ・マサラ(*244) という、イギリス化したインド料理として定着していった。このことは、「帝国主義という経験は、実は相互に絡み合う歴史体験だったということ。インドの歴史とイングランドの歴史は、ひとつのもの」(*245) として考えなければならないということの食文化からの一つの例証と言える。このことから、習慣や文化のなかには土地を離れることで、意味をもたなくなるものがある一方で、維持し続けていくものがあることが見えてくる。
 また、喫茶の視座から、現代の「民族」の形成に習慣・文化が与えた影響を考えた場合には、伝統と変化という相反する価値が見えてくる。習慣や文化は、ある「民族」を他の「民族」から差別化し、「民族」としての統一性を保つために重要な要素であり、民族固有の価値観の体系、伝統として社会に秩序を与えると考えられる。しかし、この「民族」という括りそのものが不変のものではなく、ボスニア・ヘルツェゴビナに見られるように、言語や伝統を共有し、トルコ・コーヒーを飲むという同じ習慣をもつ「民族」が、宗教の要素によって、差別化され、世代を重ね、再構築される過程においても差異が強化され、多くの習慣や文化という要素は同じまま異なる「民族」となる場合もある。宗教を含む新しい習慣や文化を受容することで起こる生活の変容は、人々の自己イメージの変化を伴い、社会生活の基礎構造の転換、伝統の変化を伴う場合があることを示している。
 このように、喫茶の視座から習慣や文化の伝播と変遷を検証することで、我々は、過去の社会階層や支配階級の構成や政策という歴史理解に至る。そして、現在見られる世界各地の習慣や文化、また「民族」も歴史の中で形成されてきたものであり、世界と様々な要因で関連し合う人々の日々の営みから形成されてきた現代社会を捉えることにもなる。

・おわりに

 以上、本研究では喫茶の伝播と変遷から、世界各地の喫茶の類縁性と多様性の形成要因を考えてきた。それは現状の喫茶の把握とその地域分布の確認だけではなく、いつ、どのようなことが影響して現状の喫茶が形成されてきたのかということを考えるものであった。
 そのため歴史を掘り下げて検証することになったが、それは政治、経済だけに留まらず、喫茶が人間の日常生活に浸透した習慣であることから、生理的、社会的な面の検証も必要となった。この喫茶の浸透、定着によって政治、経済が動き、人々の生活に規律を与えた場合もあるが、多くの場合、喫茶は影響を受けることで変遷している。喫茶が持続的な原動力となり歴史を動かすことは多くないが、茶やコーヒーのプランテーションという植民地主義の影響、もしくはその手法が、過去の歴史上のことではなく、現在でも生産国の人々の暮らしに大きな影響を与え続けていることを忘れてはならない。
 喫茶とは、過去から現在という連続した時間の流れのなかで、人々や地域のかかわり、様々な要因の影響を受けて形成されてきた習慣であり文化である。それゆえに人々の文化的な行動や社会的な行動の基本的な問題も含んでおり、多様化した現代社会を理解するために「喫茶」はひとつの有用な視座となる。


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【引用・参考】
(*239)ピーター・バーク 2008, p.144
(*240)リジー・コリンガム 2006, p.319
(*241)同上, p.317
(*242)河合利光 2006, p.108
(*243)同上, p.123
(*244)タンドリチキンが添えられたトマトベースのカレーライスであり、
「アングロ・インディアン料理」とよばれ、イギリス人の嗜好に合わせたもの。
(*245)E.W.サイード 2005, p.104